「FIRE」ムーブメントがテレビでも取り上げられる機会が出てきており、日本でも少しずつその考え方が市民権を得てきているようです。
「FIRE」は、「Financial Independence, Retire Early」の略で、経済的に独立してアーリーリタイアするライフスタイルを指します。
私も学生の頃から「いつかはアーリーリタイア」という想いを抱いていましたが、3月末にその夢が実現することになりました。
この記事では、プロフィール紹介も兼ねて、アーリーリタイアに至るまでの道のりについて、仕事の面から振り返ってみたいと思います。
副業(学生時代)
副業を始める会社員の方が増えつつありますが、私は学生時代に個人輸入の代行業のようなことをしていました。
収入面では、ピーク時で年1,000万円ほどの収入と趣味に毛が生えたようなレベルでしたが、資金繰りや債権の保全といった商売のイロハや大変さを実践で学べたことはもとより、様々な気づきを肌感覚で得られたことは大きかったと思います。
すなわち、下記のようなことです。
- 稼ぐ(働く)ことの楽しさ
- 雇われなくても生きていけるという自信
- お金(給料)は自分で稼ぐものという感覚
- 経営者的な考え方・視点
- リスクを取るということ
結果、就職先は小さな中小企業を選びました。大手の出来上がった組織の中で働くよりは、若いうちに色々と吸収できる可能性が高いと考えたのです。いずれは独立も視野に入れていたので、安定性や給与(条件)は二の次でした。
若い頃は給与が低く、投資資金を思うように捻出できないという方も多いと思います。 副業解禁が世の流れになりつつあります。学生時代に始めた副業を就職後も継続できれば、1人でダブルインカム状態ですから、投資資金を加速度的に増やすことができますね。
株式上場
入社したのは、社長の奥さんが経理をしているようなオーナー経営の会社でした。当時の社員数は20名程度。
就職氷河期で選択肢が限られていたこともありましたが、そんな会社に好んで入社してくるわけですから、同期もそれぞれ一癖、二癖あるような人ばかり。
毎日飲み歩いて、会社の方向性について議論をしたり、夢を語ったりと「会社勤めも悪くないな」と思ったのを覚えています。
そうして数年過ごしているうちに、上場に向けた準備を進めることになり、管理系の仕事を任されていた関係で上場担当を拝命します。
~中略~
東証の鐘を鳴らした時の晴れ晴れしい気分は今ではよい思い出ですが、上場した時には、入社から10年ほどが経過していました。
大企業の処遇条件は中小企業に比べて優位にあるのは事実ですが、大企業に入れば一生安泰という時代は、もはや過去のものになりつつあります。IPOを目指している会社を探すというのも一つの選択ではないかと思います。
リーマンショック
上場以降は、決して順風満帆というわけではなく、特にリーマン・ショックの時には、のっぴきならない状況に陥ります。
業績が低迷し、株価は上場時の公募価格の1/10以下まで落ち込みました。
IR担当者として一般株主の方からお叱りの電話をいただくことも多々ありました。Yahoo!掲示板でもボロクソに書かれていましたね。
このタイミングで、持株会への拠出を大幅に増やしました。万が一破綻でもしたら紙くずになってしまいますが、少しでも株価を下支えしたいという気持ちと復活できるはずという思いです。
拠出額は手取の5割近く。給与カットあり、賞与もなしでしたので、貯金を切り崩して生活していました(汗)。
内部者でしたので、インサイダー取引防止の観点から直接買付は行いませんでした。また、従業員持株会と違い、役員持株会は拠出の上限額が大きく設定されています。
買収と上場廃止
その後、苦労しながらも徐々に業績は改善していき、株価もそれなりの水準まで回復することになります。
「役目を果たせたかな」と、日々の仕事をしながらも今後の身の振り方について(つまり、アーリーリタイアです)考え始めていた時に、買収の話が降って湧いて出ます。
買収の経験はありましたが、買収される側に回ったのは初めてのこと。依然として管理担当の役員をしていましたので、アーリーリタイアどころではなくなってしまいます。
~中略~
この手の話というのは、立ち消えになることがよくありますが、この時はトントン拍子で話が進み、子会社化が決定、上場廃止となりました。
株価が表示されなくなったのは寂しかったですね。
子会社化
子会社化後も担当業務は変わらずでしたが、コンプライアンスの徹底ぶりは「ここまでやるか」と思わされるレベル。
一部上場とはこういうものかと面食らったのを覚えています。
また、1つの会社に長い間勤めてきましたので、親会社の「決まりごと」に合わせていくのは、新鮮で興味深い作業でした。
〜中略〜
子会社化から数年が経過し、業績も最高益を更新する勢いで推移するように。
買収前から積み残していた案件も粗方片付きましたし、退くにはよいタイミングだと判断。
昨年末に退職を申し出ました。
退職を伝えるには、勇気がかなり必要でした。年甲斐もなく声が震えましたね。。
まとめ
独立していたらどんな人生だったのかとふと思うこともありますが、概してよい会社人生だったと思います。
処遇や仕事内容に不満を感じたことはなかったですし、上場〜EXITまでを経験できたのは、管理担当冥利に尽きるのかなと。
設立間もない小さい会社を選んだことで、
- 早い段階で裁量をもって仕事に取り組むことができた
- 幅広い業務を担当できたことでマンネリ化しなかった
→飽きっぽい性格で、横並びが嫌いな自分に向いていました。
経営危機に陥ったことも何度かありましたが、
- 黒子の存在の管理担当としては力の見せ所
- 頻出する経営課題にもパズル感覚で取り組めた
→副業の経験があったので、万が一失業したとしても「なんとかなるさ」と過度に深刻に捉えずに済みました。
社会に出る前は45歳までにはとボンヤリしたイメージがありましたので、数年遅れましたが、40代でギリギリ滑り込みです。
悠々自適と言うには心許ないですが、リタイア資金の目途もつきましたし。
コメント